高齢期になると、「健康の喪失」という災厄が襲ってくる。
何事につけ経年劣化は避けがたいが、五臓六腑のあちこちも
やはり長年の〝勤続疲労〟が現れてくるし、足腰の関節は歪んで痛む。
もう一つ、この「健康の喪失」に勝るとも劣らない
悩みをもたらすのが「役割の喪失」だ。
たとえば、定年退職は単に収入が減少するだけではない。
仕事上のポジションは言うまでもなく、
社会的地位などを失うことになりかねない。
現役当時はその立場ゆえに社会的活動がある程度保障されるが、
定年退職し、その保障がなくなるとすれば、社会的役割は果たしにくくなる。
さらには、その後の人生をどう送ればよいのか、
そんな問題を突き付けてくるのである。

新聞の人生相談コーナーに、こんな話があった。
投稿主は、65歳の定年が間近となった大学教員の男性。
頑張って勉強し大学院も出て現職に就き、重要な役職ももらった。
だが、定年前となれば世代交代を迫られ、
若く能力のある若手の台頭が妬ましくなってくる。
「さて、そんな状況に置かれた私は、
どういう気持ちで残りの仕事をしたらよいのか。
また定年後の人生をどう歩んだらよいのか」こんな相談である。
多くの人が同様の悩みを抱えており、そのためか
定年後の人生をどう送ればよいかの方策を示してくれる本が、
書店にさまざまに並んでいる。
そして、一様に「自らの役割を自ら探し求めよ」とし、
「まず何らかの『目標』を設定することから始めたがよい」とする。
個人の趣味でもよいし、できればそれによって仲間の輪が広がり、
さらにそれが社会的活動につながっていければ
社会に貢献することにもなるから、さらに良し。
こういうことが書かれている。
それは「役割の喪失」感を多少なりとも軽減してくれるはずだ。こんな話である。
「人生100年時代」と言われれば、まだ20年弱の残余の時間がある。
率直なところ長い。どうすれば、「健康・役割の喪失」感を出来る限り軽くして、
この残りの時間を送ることができるだろうか。
そうそう簡単な話ではないように思える。